板東英二さんの若い頃は、細身の体から剛速球を投げ込む精悍な野球少年でした。高校3年の夏には甲子園で大会通算83奪三振を記録し、19歳で中日ドラゴンズへ入団。引退後は野球解説者から俳優、司会者へ転身し、映画『あ・うん』では演技賞も獲得しています。2026年7月22日、慢性心不全のため86歳で亡くなりました。なお、メインキーワードでは「坂東英二」と表記されることがありますが、正しい芸名は「板東英二」です。
- 板東英二の高校野球と甲子園時代
- 中日ドラゴンズの投手だった20代
- 俳優や司会者として活躍した歩み
- 2026年7月に伝えられた訃報
- 妻や娘など家族の公表情報
| 名前 | 板東英二 |
|---|---|
| 生年月日 | 1940年4月5日 |
| 没年月日 | 2026年7月22日(86歳) |
| 出身 | 満洲国生まれ・徳島県育ち |
| 身長・体重 | 現役時代170cm・70kg |
| 投打 | 右投右打 |
| 経歴 | 徳島商業高校から中日ドラゴンズ |
板東英二の若い頃がイケメン!甲子園とプロ野球時代
満洲から日本へ引き揚げた少年は、徳島で野球の才能を開花させました。甲子園の伝説から中日の主力投手へ進み、20代だけで77勝の大半を積み上げています。爽やかな顔立ちと勝負師らしい鋭い目元が印象的ですよね!
満洲から徳島へ引き揚げた幼少期(0歳〜14歳)
板東英二さんは1940年4月5日、当時の満洲国で生まれました。終戦後に家族で日本へ引き揚げ、徳島県で成長しています。幼少期は戦後の混乱と生活の厳しさを経験しましたが、やがて野球と出会い、持ち前の負けん気を発揮するようになりました。
14歳までの本人と撮影年代を確認できる鮮明な顔画像は、公表されている資料では見つかっていません。少年時代の経験が、後年のたくましい行動力につながったのでしょう。
徳島商業のエースとして甲子園準優勝(15歳〜18歳)
徳島商業高校で投手として頭角を現し、1958年夏の甲子園へ出場。準々決勝の魚津高校戦では延長18回を投げ抜き、翌日の再試合にも登板しました。大会通算83奪三振は長く語り継がれる大記録です。

18歳の板東さんは、引き締まった輪郭とまっすぐな眼差しが印象的。ユニフォーム姿には、投手として試合を背負う覚悟が表れています。決勝では柳井高校に敗れたものの、徳島商業を準優勝へ導きました。
中日ドラゴンズへ入団した新人時代(19歳)
1959年に中日ドラゴンズへ入団。高校野球のスターだった板東さんへの期待は大きく、1年目から33試合に登板して4勝を挙げました。まだ少年らしさを残しながらも、顔つきはすでにプロの投手です。



同僚の河村保彦さんと過ごす一枚では、マウンド上とは違う穏やかな笑顔を見せています。短く整えた髪と太い眉が凛々しく、若い頃がイケメンと言われるのも納得ですね。
先発投手として二桁勝利を重ねた20代前半(20歳〜23歳)
1960年に10勝、1961年には12勝を記録。速球と強気な投球で巨人戦にも力を発揮し、オールスターへ選出されました。細身ながら全身を使って投げ込むフォームには躍動感があります。

振り向いた瞬間の表情は若々しく、帽子の下から相手打者を見つめる目は鋭いもの。テレビで見せた親しみやすい笑顔とは異なる、勝負師の顔が伝わります。
抑え投手の先駆けとして活躍した20代後半(24歳〜29歳)
1964年から1967年まで4年連続で50試合以上に登板し、救援投手としてチームを支えました。1965年は12勝、1966年は13勝、1967年は自己最多14勝。先発だけでなく試合終盤を任される存在となり、現在のクローザーにつながる役割を担っています。

投球動作に入る一枚では、顔全体がはっきり見えます。20代前半のあどけなさが薄れ、マウンド経験を積んだ投手らしい落ち着きが加わりました。1969年限りで引退し、通算435試合、77勝65敗、防御率2.89を残しています。

1968年、28歳の投球写真では背番号14を付け、右腕を大きく振りかぶっています。20代前半の写真より頬が引き締まり、救援の中心として何度も修羅場をくぐった自信が表情ににじんでいます。
板東英二のタレント時代と現在は?妻や子供も調査
30歳で現役を退くと、野球解説だけでなくラジオやテレビへ進出。40代に俳優として評価され、50代以降は司会者として全国的な人気を得ました。ゆで卵好きという親しみやすいキャラクターも定着しています。
野球解説とラジオで話術を磨いた30代(30歳〜39歳)
引退後はCBCの野球解説者となり、名古屋を中心に放送の仕事を始めました。現役時代から商売に関心が強く、豊富な体験談と関西弁を交えた軽快なトークが評判に。元選手がバラエティーで活躍する道を早くから切り開いた存在です。
引退直後の30歳頃には、現役時代の短髪と精悍な輪郭がまだ色濃く残っていました。ユニフォームを脱いでも野球人らしい鋭い目元は変わりません。


34歳頃には表情が柔らかくなり、ラジオで人気を得た話し手らしい明るい笑顔が目立ちます。20代の投手写真と比べると、眉や輪郭には面影を残しながら、親しみやすいタレントの顔へ変化していますね。
金妻出演から世界ふしぎ発見へ(40歳〜47歳)
1983年のTBSドラマ『金曜日の妻たちへ』に出演し、俳優としても注目されました。1986年からは『日立 世界・ふしぎ発見!』のレギュラー解答者となり、率直な発言とユーモアで番組に欠かせない存在へ。野球を知らない世代にも顔が広がります。
ドラマ出演をきっかけに、元投手の硬派な印象から親しみやすい俳優へ変化した時期でした。43歳当時の場面写真では、共演者と並んでも存在感があり、落ち着いた大人の表情を見せています。

映画あ・うんで演技賞を受賞(48歳〜49歳)
1989年公開の映画『あ・うん』では、高倉健さん、富司純子さんらと共演。どこか憎めない水田仙吉を人間味豊かに演じ、ブルーリボン賞助演男優賞を受賞しました。

麦わら帽子とスーツを着た49歳の姿は、20代の投手時代より表情が柔らかくなっています。大きな身振りと朗らかな笑顔から、俳優としての豊かな表現力も感じられますね。
マジカル頭脳パワーで人気司会者へ(50歳〜59歳)
1990年代は『マジカル頭脳パワー!!』『クイズ!紳助くん』などで司会や解答者を務め、全国区の人気タレントとなりました。「ゆで卵好き」という話題も定番になり、豪快な笑い声とテンポのよい進行でお茶の間を楽しませています。

1990年、50歳の制作発表では紺色のスーツを着て中央に立っています。投手時代の細身の面影を残しつつ、番組を引っ張る司会者らしい堂々とした笑顔。元プロ野球選手という肩書きを超えて司会者として定着した全盛期です。
世界ふしぎ発見ファミリーとして活躍(60歳〜69歳)
2000年代も『世界・ふしぎ発見!』をはじめ、情報番組やバラエティーへ幅広く出演しました。2005年には番組仲間と野々村真さんのパーフェクト達成を祝う会へ参加しています。

65歳の板東さんは黒いスーツ姿で、若い頃と変わらない大きな笑顔。眉や目元には現役時代の面影が残りつつ、場を和ませるタレントらしい柔らかさが増しています。
謝罪会見と芸能活動再開(70歳〜76歳)
2012年末、個人事務所の申告漏れが報じられ、テレビ出演を一時休止しました。2013年に会見を開いて謝罪し、その後は明石家さんまさんの番組などを足掛かりに活動を再開。以前より出演は減ったものの、野球や芸能界の経験を語る仕事を続けました。




70代になると頬や目元に年齢が表れますが、話す時の表情はエネルギッシュ。2016年の姿では、現役投手時代と同じ太い眉と輪郭がよく分かります。

中日OBとして古巣への愛を語った70代後半(77歳〜79歳)
70代後半も野球関連の取材やイベントへ登場。2019年には中日のユニフォームを着て古巣への思いを語りました。タレントの印象が強い一方、野球人としての誇りは変わっていません。

79歳の写真では、帽子とユニフォームが実によく似合っています。19歳の入団時と並べると体つきや輪郭は変化していますが、明るい目元には若い頃の面影がありますね。
転倒後に活動を休止し86歳で死去(80歳〜86歳)
2020年に転倒して頭部を打ち、検査入院したと報じられました。その後はラジオ番組も終了し、公の場への出演が途絶えています。2023年には個人事務所の閉鎖が報じられ、2024年の『世界ふしぎ発見!』関連行事にも本人は出席しませんでした。
公式サイトは2026年7月28日、板東英二さんが同年7月22日に慢性心不全のため86歳で亡くなったと発表しました。葬儀は近親者のみで執り行われたと伝えられています。高校野球、プロ野球、俳優、司会と多彩な分野で親しまれた生涯でした。
妻と娘2人は一般人で顔画像は非公表
板東英二さんは結婚しており、妻との間に娘が2人いると伝えられています。家族は芸能活動を行う著名人ではなく、公式に確認できる顔画像も公表されていません。過去には長女が個人事務所の仕事に関わったと報じられましたが、家族関係の詳細は私生活に当たります。
| 年 | 年齢 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1958年 | 18歳 | 夏の甲子園で準優勝・大会83奪三振 |
| 1959年 | 19歳 | 中日ドラゴンズ入団 |
| 1967年 | 27歳 | 自己最多14勝 |
| 1969年 | 29歳 | 現役引退 |
| 1983年 | 43歳 | 金曜日の妻たちへ出演 |
| 1986年 | 46歳 | 世界ふしぎ発見レギュラー |
| 1989年 | 49歳 | 映画あ・うん出演 |
| 2013年 | 73歳 | 謝罪会見後に活動再開 |
| 2020年 | 80歳 | 転倒後に活動休止 |
| 2026年 | 86歳 | 7月22日に慢性心不全で死去 |
板東英二の若い頃から晩年までのまとめ
- 正しい表記は坂東英二ではなく板東英二
- 18歳で甲子園準優勝と大会83奪三振を達成
- 19歳で中日へ入り通算77勝を記録
- 引退後は俳優・司会者として全国的な人気者になった
- 映画あ・うんでブルーリボン賞助演男優賞を受賞
- 妻と娘2人は一般人で顔画像は公式に公表されていない
- 2026年7月22日に慢性心不全のため86歳で亡くなった
10代の甲子園投手、20代のプロ野球選手、40代以降の俳優・司会者と、板東英二さんは何度も新しい道を切り開いてきました。若い頃の精悍さと、タレント時代の朗らかな笑顔。その両方が長く愛された理由なのでしょう。

コメント